【日本を探す】サザエさん(1) 愛される磯野家の「形」
【日本を探す】サザエさん(1) 愛される磯野家の「形」


 「日本を探す」とはどういうことだろう? 確かに目の前に日本は存在している。だが、社会の表層を見れば、不愉快な現象ばかりが目につく。「人の心もカネで買える」と考える拝金主義の蔓延(まんえん)、「勝ち組・負け組」という言葉の流行と社会を支えてきた中間層の崩壊、電車内化粧女性の増殖や場所をわきまえぬ携帯電話の使用に見られる恥と公共意識の喪失…。「なんだかなあ」とぼやきつつ、こうも思うのだ。「極東の弧状列島に長らく暮らしてきた人々には、もっと知恵と思いやりと勇気があったはずだ」と。毎週一回、一年の予定でつづるこの新連載は、見失われつつある「日本人を日本人たらしめてきた水脈」を探る作業になる。さあ、日本を探そう!

                  ◇

 サザエさんの父、磯野波平に「バカモン!」と怒鳴られてみたい、という若者が多いという。

 波平さん、もとい、波平の声を担当している声優の永井一郎さん(74)は、四年前に出版した著書『バカモン! 波平、ニッポンを叱る』(新潮社)の中で、こんなことを書いている。

 ≪サザエさん一家の声優が、千葉の高校へ講演に行ったことがある。ちょっと話がだれはじめたら、後ろに陣取っていたツッパリ野郎たちが声を揃えて「なーみへい、なーみへい」と騒ぎだした。先生方はなにも言わない。しゃべっている仲間にも気の毒だし、私は大声をあげる。「人が話しているんだ。静かに聞かんか」。「わーい」。拍手だ。私が怒ったことに満足したのか、しばらくは静かにしている。しかしまた「なーみへい、なーみへい」がはじまる。またどなる。嬉しそうな顔をして静かになる≫

 高校生たちはアニメの「サザエさん」を愛している。そして、波平と永井さんを同一化し、カツオになった気分で甘えている。

 親が自分の子供を叱らなくなったのはいつごろからだろう。それは昭和四十年代、高度経済成長を背景に、家庭の中でそれぞれが個室を持ち始めた時期と重なるのではないか。それぞれが個室で過ごすようになれば、家族間の信頼感は醸成されにくくなり、家族共通の価値観も存在しなくなる。親が子供を叱りにくくなるのは当然だろう。

 そこで思いだすのは、昭和五十年、父親に叱られた息子が眠っている両親を金属バットで撲殺した家庭だ。父親と母親の寝室は別、二人の息子は玄関から直接上がれる二階にそれぞれの部屋を持っていた。完全な家庭内別居状態。家族のコミュニケーションは、ほとんどなかったのではないか。信頼感の上に立たない叱るという行為は、叱られた側に憎しみを生む。

 「なーみへい、なーみへい」とはやし立てた高校生たちは、磯野家のような家庭を欲している。いや高校生だけではない。別項に記したように、日本人は老いも若きも、磯野家を愛しているのである。

                  ◇

 無性に永井さんに会いたくなり、「サザエさん」の録音スタジオに近い東京・信濃町の喫茶店で会う約束を取り付けた。

 約束の日、マネジャーに付き添われ姿を現した永井さんは、波平よりも立派な鼻ひげをたくわえていた。ブレンドコーヒーを注文し、「サザエさん」が愛される理由について、思うところを語り始めた。

 「サザエさんには形があるからです。形のあるものは美しい。形のあるものは安定がある。そうでしょう。戦後の日本は自由や個性という名目のもとに形を捨てた。しかし、永平寺の貫首が≪修行とは形≫であると喝破されたように、形こそ文化であり、形こそ本質なんです」

 さすが京都大学でフランス文学を学んだインテリ、ゼミで講義を受けているような心地がする。“永井教授”の特別講義はなおも続く。

 「形を捨てれば、個性が育ち、より自由になれるという勘違い、これが戦後の日本を不安定にしました。家族関係は壊れ、教師と生徒の関係も壊れ、言葉や文学も壊れてしまった。そんな中で『サザエさん』は、決して形を失わなかった。端的に言えば、親は親らしく、子供は子供らしくです。新聞の連載は終了しましたが、その精神はアニメにもきちんと受け継がれているのです」(桑原聡・産経新聞)

                  ◇

【用語解説】サザエさん

 昭和21年4月22日に福岡県の夕刊フクニチで連載が始まった四コマ漫画は、26年4月16日に朝日新聞朝刊に舞台を移し、何回かの休載をはさみながら49年2月21日まで続いた。連載回数は6477回。作者の長谷川町子さんと姉の毬子さんが設立した姉妹社によって連載中から次々と単行本にまとめられ、全68巻の累計販売部数は5000万部をゆうに超えるといわれる。姉妹社が会社をたたんだ後、朝日新聞社が平成6年に文庫本45巻に再編して刊行した作品は、これまでに総計で約1600万部を売り上げている。

 フジテレビ系で44年に始まったアニメは、テレビが家庭の娯楽の王座にあった時代には40%近い視聴率を記録、テレビ離れが進んだといわれる現在もコンスタントに20%以上の視聴率を稼ぎ出し、「国民的番組」の座は揺るぎない。