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◆日本海海戦の衝撃に匹敵 「今回の金融危機は、1905年に日本海軍の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を破った日本海海戦の衝撃に匹敵する」 『ロンドン株式市場の歴史1945〜2007年』の著者、ジョージ・ブレーキー氏は、米サブプライム住宅ローン問題に端を発した今回の金融危機をこうとらえてみせた。氏は1966〜90年、ロンドンの金融街、シティーで株式仲買人として働いた経歴を持つ。 確かに、99年には株式の時価総額で世界トップ20行のうち米国の銀行が11行、英国の銀行が4行を占めていたにもかかわらず、大恐慌以来といわれる金融危機の直撃を受けて、今や、中国の銀行がトップ3を独占するようになった。 アジアの後進国、日本が列強の一角、ロシアを撃破した日露戦争の日本海海戦が当時、世界を震撼(しんかん)させたのと同じように、今回、「国際金融の世界で旧秩序から新秩序に向かう地殻変動が起きた」(ブレーキー氏)というのだ。 氏がシティーで働き始めた60年代後半、ロンドン証券取引所は毎日午後、来訪者向けに、株式市場の機能を解説する映画を上映していた。2人が興味を示せば上出来で、彼らは、上場企業が株式市場を通じて資本を集める仕組みを仲買人に尋ねるのが日常的な光景だった。山高帽に黒のスリーピース、コウモリ傘に黒カバンというシティー伝統のスタイルで決めた金融業者たちが闊歩(かっぽ)した、牧歌的な時代である。 ◆ビッグバンの原点 だが、サッチャー元英首相が86年に「ビッグバン」と呼ばれる英証券市場の大改革に着手したのをきっかけに、状況は一変する。 今回、サッチャー氏やレーガン元米大統領が採用した市場原理重視の新自由主義に厳しい批判が向けられた。両首脳は当時、財政赤字の拡大はインフレーションにつながるとして、「小さな政府」を目指す一方、国有企業の民営化や規制緩和、金融自由化を進めた。 しかし、20年余の歳月を経て巨大金融バブルがはじけ飛び、民間金融機関だけでなく、国家をも揺るがす危機を引き起こした。過度の自由放任主義がニューヨークやロンドンの巨額ボーナス文化を生み出し、リスクを顧みず短期の利益を徹底的に追求する“カジノ資本主義”を増長させたと、世界中のメディアが盛んに書き立てた。 サッチャー氏のスピーチライターとして新自由主義を世に送り出した英保守党のハウエル上院議員(元運輸相)は、「私たちのスピーチ作成チームは英国を覆っていた考え方、本当のところは世界の構造を変えようとしていた。民営化と民間企業、市場経済の重視。まさに世界に革命を起こせるという確信があった」と振り返る。 ハウエル氏によると、20世紀は強力な国家がすべての問題を解決できるという考え方が支配的だった。そうではなくて、国と民間が協力し、企業と市場、技術革新を原動力にすれば、英国経済を回復させられるというのが、サッチャリズムの核心にあった。氏は金融危機をめぐる新自由主義批判には、「市場任せにすれば暴走するのは当たり前。サッチャー氏も適切な規制の下でしか市場は機能しないと考えていた」と反論した。 ◆緩やかな規制の見直し 未曾有の金融・経済危機を乗り切るための主要20カ国・地域(G20)金融サミットで、フランスのサルコジ大統領やドイツのメルケル首相は、危機を招いた責任は米英型金融資本主義にあるとして、金融規制の強化を声高に求めた。ブラウン英首相が国内や欧州で、時には不可抗力を主張し、時には米国に責任を転嫁したのに対して、オバマ米大統領は「責任の一端は米国にある」と潔く認めた。 ブラウン首相が財務相時代に歓迎した「緩やかな規制」がバブル発生と、その果てに起きた金融危機の一因になったのは間違いない。何しろ、英銀大手4行のうち、株価が98%超も下がったロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RBS)やロイズ・バンキング・グループは実質、政府管理下に置かれるという惨状である。 前出のブレーキー氏は「株式市場の役割は民間企業の資本調達と投資家の売買を円滑に行えるようにすることだ」と述べ、「厳格な規制」が導入される可能性があると語った。英国は、銀行への公的資金注入、不良債権に対する「損失保証」制度の導入、大型の財政出動、イングランド銀行(中央銀行)による政策金利切り下げと量的緩和の発動、さらには金融規制の新たな枠組みまで提示した。 シティーの金融マンたちがアジアや中東の新興市場に流出しているとされる中で、英国は米国に先駆けて、国際金融センターとしての生き残りを必死に試みているのである。そこに、信頼回復の兆しを読み取る向きも出てきている。 (ロンドン支局長・木村正人・産経)
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