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2016年オリンピックの東京招致のために先般のIOCの評価委員の来日等このところIOC関係者との顔合わせが多いが、彼等との会話の中で確認される共通しての悩みがある。それはどの種目においても次の世代のトップアスリートたらんとする若者たちの数がめっきり減ってきたということだ。つまり先進国の若者ほど、つらいことは嫌がる、故にもスポーツでの肉体のことさらの苦痛を避けたがる。 仮に何かの種目のナショナルチームのメンバーとなっても、コーチや監督による指導が厳しいと音を上げて止(や)めてしまう選手が多いと。 かつてとは違って何かの種目で優勝したりすればテレビのコマーシャルから口もかかって大層な実入りともなる時代ではあるが、なお。 45年前の東京オリンピックでは銅、次のメキシコ・オリンピックでは銀、そしてミュンヘンでは念願の金メダルを手にした男子バレーボール・チームの名監督、松平康隆さんの慨嘆だと、東京オリンピックでは銅に甘んじたために、女性チームの金に比べて男は銅かということで賞賛もされなかった男子チームを、まさに八年間臥薪嘗胆(がしんしょうたん)し大胆な戦略と緻密(ちみつ)な戦術の下で金メダルを獲得した報償に男子チームが手にしたのはなんと僅(わず)か十万円の報償金だったそうだが、今では選手個人でとてつもない額のコマーシャルへの出演料を手にすることが出来てもなおだ。 IOCのロゲ会長は私と同じヨットマンでもあるが、会食の折私が打ち明けた悩みにヨーロッパでも全く同じだと慨嘆していた。それはオーバーナイトのタフな外洋レースに若い乗り手がめっきり少なくなったということだ。 かつて沖縄復帰記念に創設された沖縄レースはアジアでも有数の、この日本では最もタフで危険なものだ。沖縄から黒潮の洗う暗礁だらけのトカラ列島を縫い、さらに太平洋に出て北上する千五百キロに及ぶこのレースは、風向きによっては巨大な三角波と闘い、さらには太平洋に出来る冷水塊と闘い、強い海流を計っての高度なナビゲイションの必要なレースだが、海の激しい変化にまみえながらの試合運びには自然と人間の戦いの尽きせぬ味合いがある。しかし最近では敬遠されて参加艇が全くない。 数年前何隻かの船が発奮して出場すると聞いて、私も腕を鳴らして加わろうとしたら、結局どの船も土壇場でキャンセルしてきた。訳を質(ただ)したらわが艇と同じように若いクルーがいない、一番若い乗り手が六十代ということでは、三角波の中でのロデオに似たフォアデッキ・ワークはとてもおぼつかない。ということで久し振りのレースは実現しなかった。 スポンサーつきの賞金のかかったレースにはプロの乗り手も見つかるが、アマチュアだけのタフなレースには若者の乗り手がほとんど無い。昔は「花の初島大島レース」ともいわれ五月連休の海の名物だった、オーシャンレースの乗り手にとっては垂涎(すいぜん)の、僅か一夜がかりのレースでも今では若者に敬遠されて衰退の一途だ。 これは全(すべ)てのアマチュアスポーツに共通してみられる現象で、アマチュアスポーツという、いわば無償の行為の人生における意味合いがその無償性故に淘汰(とうた)されつつあるということだろう。 ならば行為の無償性というのはそれほど価値の乏しいものなのだろうか。もし敢えてそれを試みた時に味合うものは決して無償の味気無さなどではなく、むしろある賞金を手にすること以上にしみじみした達成感に他ならない。 真冬の冷たく長い夜を徹してのレースでようやく明けてくる空を眺めながら、“俺はなんでこんなことをしているんだろう”という慨嘆の末に、かじかんだ足でようやくゆるがぬ土を踏みしめながら味合う、あの虚脱感の底にそこはかとなく味合う達成感こそが人生の糧に違いあるまいが。 何度も引用してきたが、動物行動学の泰斗コンラッド・ローレンツがいっているように、『若い頃肉体的苦痛を味合ったことの無い人間は、長じて不幸な人生を送ることになる』、という人生の原理を最も簡単に確かに習得出来る術はスポーツに違いないと思うが。 オリンピック招致のキャンペーンとしてかつてのオリンピアンたちの述懐を短い劇シリーズにして放映しているが、団体スポーツだろうと個人プレーの種目だろうと、選手同士や監督やコーチとの関わりの中で、選手たちは互いに競い合ってつらさを克服することでこそ人間同士の連帯や信頼を獲得していくのがよくわかる。 かつての名監督、松平康隆氏が私に語ってくれたいくつかの感動的な挿話の中で最も心を打ったのは、すでに東京オリンピックの際に世界的スパイカーとしてその世界で名を覇していた南選手が、金メダル獲得のためには女子が心掛けた回転レシーブどころか、正面から床に転がって顔を床で打ちながら行うレシーブ練習を、自分はあくまでアタッカーなのだからそんな必要は無いはずだと反発拒否し、合宿から抜けるといい出したのを、松平監督はならば勝手にしろと突き放した。 南は自宅の妻に俺はこれから家に帰るからと電話したのだが途中のどこかの公園で立ち止まってしまい、考えた末に監督に詫(わ)びて再び合宿に戻ったという。 そしてその南は、既に盛りを過ぎていたろうがミュンヘンのオリンピックでの準決勝の対ブルガリア戦で、すでに2対0とリードされていた土壇場で起用され奇跡の逆転の牽引(けんいん)車となったのだった。 現代の若者たちにとっての至高の価値とは何かは知らぬが、自らの肉体を自らの意思でしごいて鍛えるという、無償の行為がそれぞれの人生にとってどれほど価値あるものかということを、一体どうやって彼等に伝えたらいいものだろうか。
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