|
政治の貧しさ、経済力の落下による世情の混迷は、どうなるだろうか。捨身になって国を救うという実行力と決断力のある大物が政界・経済界の中から見当たらない。そこで一人の力に頼るより、国民が和の心をもっていわばよき一揆を起こす。そして流れを変えることができないだろうか。政治、経済、文化が目的に向って一体となり、みんなの幸せのために行動に移す。過去の歴史からみてもよき一揆は成功であった。 思い顧みれば日本は戦後、何かがずれてきた。世相の浮薄軽佻(けいちょう)に加えるに、己のことのみしか考え、思わない民主主義のはきちがえで、無責任さが目を覆うのである。日本古来のつつましさ、勤勉さ、実直さ、そして譲り合いの精神などはどこにいったのか。一握りは残っているものの、真の心の在り方がどこかへいってしまった。心の学問を志し、知る者(自己)と知られるもの(事物)を一つにすることを教え、力説した石田梅岩(1685〜1744)の志(こころざし)は、後に心学あるいは石門心学と呼ばれるようになった。「心を発見する」ことはすばらしい。かつてその心を思索し、学的に究明されたものより「心学」は、誰でもが探し求め実践できるいわば実践道である。それは一商売人であった石田梅岩が、事物(Thing)とともにあって、そのものを通じて「人間とは何か、何をなすべきか」を問い続けたからである。 商人は商いをして利を得ることは当然だが、客に損や不平不満をいわしめるような商いであればそれは失敗であり、商いの道からはずれたものになる。時には損を覚悟で相手の客に、その商いを通じて幸せになってもらうことも商いの正しい在り方であり、己の価値観も知ることになる。すなわち「足るを知る」。欲は必要だが欲におぼれ、それにより自分のみが生きることになることはいけないと教えている。人は自分とともにある人のためなら、他を顧みないで何でもしようとする欲がある。家族のためにという正義の御旗をふるのが精いっぱいの庶民ではあるが、その一つのものにのみ抱く小さな世界をもっと大きく他に目を向けるように方向づけなければならない。 仏教の教えに六波羅蜜(ろくはらみつ)というのがある。菩薩(ぼさつ)行であり、布施・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)の六つの教えだが、忍辱は忍耐。耐え忍び辛抱する、言いかえれば欲望を少しでも抑える我慢である。今は我慢のしどころ、短気をもってしては、成せば成せることも成らずである。今の世相はここにある。今より将来のために、今の今を我慢することである。布施は、自分とともに他があることを思い、自分より恵まれない人に対する手や心の差し出しである。貴方の「手を貸して」(PLEASE LEND A HAND)、貴方の「手をたたいて」(CLAP HANDS)多くの人を振り向かす。一人の手が二人にと結び合って救い合う。 中国の「管子」は「衣食足りて礼節を知る」といったが、今は「衣食足りて礼節を知らず」の流れになっている。石田梅岩ではないが「心を知る」ことにより、自分自身を顧みなければ、地球上に苦しみもがき合う人がもっと増えることになるだろう。(せん げんしつ)
|