「われらはアイランダーズ」
「われらはアイランダーズ」


 ◆島サミットを外交力に

 来週の今ごろは、北海道はトマムのスキーリゾートに大洋州の16カ国・地域の首脳たちが集い、地域の課題を話し合う第5回太平洋・島サミットが開催中のはずだ。  第1回は1997年、橋本龍太郎首相の時で、以来、3年ごとに東京や沖縄で開かれてきた。正式名称は日本・太平洋諸島フォーラム(PIF)首脳会議と言う。

 日本が主催する事実上唯一のサミットなのに、国内の関心や知名度はまだ低い。もったいないことだ。米、中、仏、台湾などは逆に最近、この地域への関心を高め、触発されてか類似の会議を相次ぎ開き始めているほどである。

 対応がツーレート(遅すぎる)なのは問題だが、ツーアーリー(早すぎる)も困る。やはり世界の潮流に合わせるのが肝心だ。  太平洋島嶼(とうしょ)国への関心の高まり。それは、陸地は狭くとも合計約2000万平方キロという広大な排他的経済水域(EEZ)とそこに眠る海洋資源や漁業権、そして生物多様性といった環境問題の浮上などが背景にある。従って日本も島サミットを外交力により生かす時が来ていると言えよう。

 「われわれはアイランダーズ(島国民)」とは、島サミットで麻生太郎首相と共同議長を務めるニウエのタランギPIF議長が今春、来日した際の麻生首相の挨拶(あいさつ)という。これは舌禍ではない、なかなかのヒット。平易にして本質的、しかもどこか夢や連帯感を感じさせるではないか。  実際、われらはアイランダーズなのだ。なのにいま、日本が世界有数の島嶼国との自覚はどこまであるだろう。海を忘れがちなことと領海や領有権意識の希薄さは無関係ではないような気がする。

 ◆太平洋環境共同体の夢  第5回島サミットのキーワードは太平洋環境共同体(PEC)といういまだ耳慣れない構想だ。日本を含めすべての参加国・地域が共有するのが太平洋で、その持続的発展のために環境・気候変動対策を共に進めようという。

 気候変動問題というと、昨今はポリネシア・ツバルの水没危機がすぐに連想されるが、それは長期的課題の中の一端にすぎない。  むしろより切実で緊急を要するのは、人口増やライフスタイルの変化などから増え続ける投廃棄物、海は豊かでも足りない水資源、失われる珊瑚(さんご)礁やマングローブ問題などかもしれない。

 そして日本が頼りにされ得意とするのも、こうした分野での技術や知見だ。例えば福岡方式と呼ばれるゴミ分解促進技術はいま、サモアからバヌアツ、パラオへと採用が広がっているという。海水淡水化技術も期待されている。

 もちろん廃棄物自体を軽減させる努力も一方で大事だ。そのためには島の人々の意識変革が不可欠なことは言うまでもない。いつまでも「援助する側・される側」では事態は変わらない。イコールパートナーとして、双方が役割と責任を果たす。これがあって太平洋環境共同体が現実になる。

 その点でミクロネシア連邦が自らミクロネシア・チャレンジと銘打ち、自然保護に乗り出したのは明るいニュースだ。

 ◆フィジー政権は悪玉か  冒頭、島サミットの参加者を16カ国・地域首脳と書いた。実際はフィジー首相は来ない。PIFは同国の軍事政権による憲法停止や総選挙先送りなどが民主化に逆行するとして、PIFへの参加資格を停止した。そして日本も結果的にこれに倣う形で招待見合わせという苦渋の選択をしたのだ。

 果たして判断は妥当だったのだろうか。そう思っていたところに知り合いのフィジー留学生からこれをめぐる論考が届いた。長い文章だがポイントはこうだ。

 《日本はこれまで島嶼国が持つ固有の文化と社会を理解し、内政不干渉の姿勢を保つことで良好な関係を育(はぐく)んできた。…結果的にこの方針が功を奏し、太平洋島嶼国は日本外交に対して好意的姿勢を示し続けてきたのである。…これ(非招待)で日本は、現地の複雑な現状を鑑(かんが)みずに欧米の理想を現地の島々に当てはめる従来型先進諸国と同様の存在として捉(とら)えられるだろう。…これでは今まで築き上げてきた独自の地位を失ってしまうのではないか》

 大洋州で欧米諸国はしばしばビッグ・ブラザーと呼ばれる。兄貴風を吹かせ、口うるさく支配者的態度といったニュアンスが強い。日本はせっかくそのイメージを免れてきたのに、日本よお前もかと彼は失望し危惧(きぐ)もしているのだ。

 彼がそう考えるのはフィジー人のせいだけではあるまい。内政不干渉はともすれば問題先送りと同義語だ。しかしフィジーを例えば北朝鮮やスーダン、あるいはミャンマーなどと同一視はできない。私はまだ彼に返事を書けないでいる。  (特別記者・千野境子・産経)