中国の軍事力増強を見据えよ
中国の軍事力増強を見据えよ


 ≪天安門事件後の権力闘争≫

 20年前の1989年6月4日未明、北京の天安門広場で「民主化」を要求した学生・市民多数を中国軍の戒厳部隊が殺戮(さつりく)する出来事が起きた。多くの日本人がテレビの報道にくぎ付けになり、中国に対する関心を示したが、大方の関心は「民主化」を求める学生・市民の抗議行動に共鳴し、彼らを弾圧した中国軍の残忍さに向けられた。

 当時筆者がテレビや新聞で解説したことは、事件の背後にある最も重要な要因は、中国軍の統帥権をめぐる権力闘争であり、具体的に言えば、中国を支配する最高政治権力である中共中央軍事委員会主席にあるトウ小平氏の地位を誰が継ぐかという点であった。

 トウ小平氏は1978年12月に最高権力者になってからの10年間に、「100万人の兵員削減」に象徴される大規模な兵員削減を通して、中国軍の全面的な改革(「軍事改革」)を断行した。その過程で多数の保守的な軍事指導者を整理し引退させ、胡耀邦氏、次いで趙紫陽氏を後継者に指名したが、中共中央軍事委員会主席に就けることに失敗した。最初に「軍事改革」に抵抗する保守勢力、次いで「軍事改革」を進める過程で勢力を得てきた楊尚昆・白冰兄弟を中心とする勢力によって、2人の後継者は排斥された。

 ≪江沢民の軍の2段階改革≫

 その結果として、江沢民氏という当時無名の指導者を中共中央総書記、中共中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席の最高権力の地位に就けた。トウ小平氏の不退転の決断であった。

 江沢民氏が中央軍事委員会主席に就任したとき、トウ小平氏の「軍事改革」は第一段階を終え、第二段階に入っていた。

 第一段階は軍隊の制度化の段階であり、具体的には、歩兵主体の前近代的な陸軍中心の軍隊から、陸海空三軍が協同して戦闘する統合軍への転換であった。陸軍では、機械化歩兵、自動車化歩兵、戦車、砲兵、対空砲兵などからなる合成集団軍の編成は、それを象徴するものであった。

 第二段階は改革の「深化・発展」の段階であり、具体的には編成を終えた合成集団軍による統合作戦を目指した軍事訓練改革が実施された。さらに、それと並行して「ハイテク戦争」に備えた「戦法研究」が進む。それらの軍事訓練を検証する大規模な軍事訓練が各大軍区、あるいは大軍区を超えて作られた「戦区」で実施されるようになった。それらを基にして、新しい軍事訓練大綱をはじめ各種、各級の法例規則が作られていった。

 筆者を含めて、江沢民時代は長く続かないだろうとの大方の予想に反して15年も続いた。その間に、トウ小平氏の「100万人の兵員削減」に続いて、50万人の兵員削減、20万人の兵員削減が断行された。その間、毎年10%台で増加し続ける国防費は、効率的、重点的に運用され、先進諸国と比較すれば水準は低いとはいえ、それなりの兵器を装備した部隊による大規模な軍事演習が頻繁に実施されている。新世代の軍事指導者が多数育成されつつある。

 さらに宇宙開発が進展し、江沢民時代に無人宇宙船が4回打ち上げられた。胡錦濤時代になってから、有人宇宙船が3回打ち上げられ、それほど遠くない将来宇宙基地を設置して、宇宙軍を編成することになろう。中国軍は宇宙戦争の時代に入りつつあるが、その基盤は江沢民時代に築かれた。

 90年代以後の中国軍の発展を振り返るならば、それまで軍隊と関係のなかった江沢民氏は、胡耀邦、趙紫陽両氏が遂行するはずだった「軍事改革」を実施することになった。それは毛沢東やトウ小平氏のように、自己の確固とした権力と思想に基づくものではなく、「能吏」としてトウ氏の敷いた路線を忠実に実行した成果である。

 ≪色眼鏡で見るのをやめよ≫

 だが建国50年の中国軍の歴史の中で、これだけの軍事成果をあげた年代はなかったといってよい。江沢民氏の敷いた軍事指導体制は盤石とはいえないにしても、かなり強固になっていると評価できる。だがわが国では、江沢民氏が進めた「反日本軍国主義」教育から、氏についての評価は極めて低い。そのことから、彼が軍事領域で進めた成果を知ろうとしなかったし、したがって中国で進展している「軍事大国化」を理解できなかった。

 21世紀に入り、現在の胡錦濤軍事指導体制へと受け継がれる際、江沢民氏は「世紀をまたぐ軍事指導者」となることに固執したところから、軍事指導部の支持を失ったが、権力の委譲は比較的円滑に実施された。現在の中国の軍事指導体制は正常に機能しているようにみえる。

 中国軍や中国の軍事事情について、とかく色眼鏡で見る見方が、わが国では、特に右派、保守系の人たちの間に強くみられる。中国の軍事情勢はわが国の安全保障に直接かかわるから、われわれはいつも、その軍事事情を正面から見据える必要がある。  (産経【正論】中国軍事専門家・平松茂雄)