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人間は誰しも、人は必ず死ぬと承知はしている。しかし誰も、この自分が死ぬということを正面信じようとはしない。それは他の動物に比べて高度な意識を持つ人間の強さであり、弱さでもある。つまり、我々は結局自分の身の周りをしか眺めようとはしない、ということだ。死に関して、ソルボンヌ大学の哲学教授だったジャン・ケレビッチは、「死は人間にとって最後の未来であり、最後の未知である」といった。 私は最近こうした人間の死に関(かか)わる存在の公理について、今地球を捉(とら)えている環境の著しい変化について考える度思い起こさせられる。私たち人類は今ようやく己の存在に関する最後の未来と未知にさしかかっているのではなかろうか。環境に関する全(すべ)ての指数がまぎれもなく地球規模の温暖化という事実を示しているのに、それが人の存在、つまり生と死に直截に関わりあっているということを多くの者が覚(さと)ろうとはしない。現実に起こっている未曾有の現象を誰も知ってはいるが、それが何に繋(つな)がるかを認めたがらない。 北極の氷は昨年の夏には5万3000平方キロ解けてしまい、冬には4万7000平方キロしか復元しなかった。このままでいくと2030年には完全に消滅してしまう。それを見て北極海に臨むアメリカ、カナダ、ロシアの3国は、氷が解け開発が容易になる北極海での海底の化石燃料の獲得のための領海の線引きにしのぎを削りだした。これをもって文明の悪しき、というより浅はかな循環といわざるを得まい。 温暖化現象は地球物理学を見て、やがてやって来る第5氷河期の前触れでしかないという御用学者もいるが、地球が太陽を巡る軌道が少しずつずれて北半球の日照が激減するのは後5万年先のことでしかない。 NASAのジェイムス・ハンセン教授の指摘によると、このままあちこちの氷が解け続け大洋の水位が高まっていけば、今世紀末には大洋の水位は5メートル高まるだろうと。とすればその行程の半ばででも、30、40年先には東京、上海、ロンドン、ニューヨーク、シドニーといった世界の臨海の大都市は半ば水没してしまおう。 私が昨年視察に赴いた赤道に近いツバル国はそれを待たずに水没消滅し、ヒマラヤの中腹にある古国ブータンは背後の氷河湖が崩壊すれば天から襲ってくる津波によって崩壊し、その南にある世界最大のデルタ国家のバンクラデシュは数日で水没し、ともに回復することはあるまい。 シベリアでは凍土が解け続け、フランスの国土大の湿地が誕生しメタンガスが排出し続けている。オーストラリアでの干魃(かんばつ)は続き農業は荒廃し農民から多くの自殺者が出ている。 しかしそれらの出来事は、それが眼前に到来しない国の人々にとっては所詮(しょせん)他人の死でしかありはしない。自由を喧伝(けんでん)する先進国の全てが、異文化異民族のチベットが中国に強引に併合されるのに全く関心を持たなかったと同様に。しかし地球の温暖化による異変が、どうやら自分自身の生命の存在に関わるものらしいと気づいた時にはもう遅いのだ。学者たちがこの問題に関して予測する振り子の振りもどしの限界点チッピングポイント、つまりポイント・オブ・ノーリターンは後5、6年で来てしまう。 文明の進展は人間たちの新しい欲望を助長し、消費への願望は、暴走しつつある車のブレーキではなしにアクセルを踏み続けている。私の手元に東大の山本良一教授の編集になる、面白い、というよりそら恐ろしい『一秒の世界』という統計がある。今この世界ではわずか1秒の間に「体育館32棟分、39万立方メートルの二酸化炭素が排出され」「人間140万人が1日に必要とする710トンの酸素が減少し」「大型トラック63台分、252トンの化石燃料が消費され」、1秒間に「テニスコート20面分、5100平方メートルの天然林が消失し」「2300平方メートルの耕地が減少し」「1・3台の自動車が生産され」「世界で40万キロワットアワーの電気が消費され」「世界で2・4人の人間が誕生し」さらに1秒間に「0・4人、5秒に2人の人間が飢え死にしている」と。狂った気象は豊作に繋がることはありえず、今後飢饉(ききん)は増発し世界全体は遠からず深刻な食糧不足に見舞われるに違いない。なのに−。 昨年暮れ近くにバリ島で行われた温暖化に関する国際会議は、一体何をもたらしたというのだろうか。この問題のキャンペーンでノーベル賞をもらったゴア前副大統領が、「この会議の進展を阻んでいるのは私の母国アメリカだ」と告白してみたところで、CO2に関して世界最大の責任国アメリカは依然として数値目標の設定には反対し、日本はその片棒を担いだ。 昨年ロンドン市が主唱して行われた温暖化についてのニューヨーク会議に私も招かれて行ったが、内容は貧しく、共同宣言に主催地の国家アメリカや中国、ブラジル、オーストラリアに京都議定書への参加を促す文言を加えるべきだといった私の主張は無視された。東京が試みようとしている、企業への削減義務化に経済界は反対しよう。しかしそうしたレベルでの利益追求が、限られた時間帯での限られた人間たちへの奉仕とはなっても、私たちの大方が会い見ることはなかろう20年後の子弟、人間たちへの責任の履行には決してなるまいことを、どうやったらお互いに覚えることが出来るのだろうか。 この今になって私には、古い友人、優れた作家だった開高健が愛して口にしていた東欧の詩人ゲオルグの言葉を思い出させられる。「たとえ地球が明日滅びるとも、君は今日リンゴの木を植える」と。 しかしそれは、なんとも空しい志に過ぎぬのではなかろうか。産経新聞
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