【産経新聞】モスクワ支局長・内藤泰朗 もうひとつのロシアを見た
【産経新聞】モスクワ支局長・内藤泰朗 もうひとつのロシアを見た


 ≪究極のお清め!≫

 外気温は零下10度。屋外のプールに張ったぶ厚い氷を割ってあけた穴を前に、一瞬ためらった。が、意を決して深呼吸をし、暗く揺れ動く水にからだを沈めた。その瞬間、何千本もの針で刺されたような痛みが皮膚から体中に伝わってきた。

 ロシア人たちは笑顔で、頭を水中に沈めろ、という。冗談じゃない。首まで漬かるのが精いっぱいだった。降参だ。大急ぎで氷水プールを飛び出し、裸のまま雪上を走って、すぐ隣のバーニャ(ロシア風蒸し風呂)に飛び込んだ。

 昨年の大みそかのことだ。「田舎でどのように新年を迎えるのか、見に来ませんか」。知人のロシア人牧師にそう誘われ、家族とともに出かけた際、「新年を前にあかを落とすのが決まり」といわれ、村の教会のバーニャにロシア人信徒たち十数人と入った。

 バーニャでは、熱した釜に水を入れ、高温の蒸気を急激に発生させるため、あっという間に汗が噴き出す。さらに、シラカバの枝でからだを打ち、発汗を促す。男たちはこの後、森の香りで満たされたバーニャから次々と外に出て氷水のプールに飛び込む。それを何度か繰り返す。頭まで水に漬かると、古い罪は洗い流され、生まれ変われるのだという。

 拷問のようなこの究極のお清めに、自ら好んで臨んだのではない。「ロシア人たちの手前、日本人が恐れるわけにはいかない」とちょっと見えを張ったため、成り行きで引っ込みがつかなくなったのである。だから、贖罪(しょくざい)までには至らなかった。それでも、生まれ変わったような爽快(そうかい)な気分で新年を迎えられた。

 ≪酔っぱらいのざんげ≫

 教会は、モスクワの西方約400キロ、スモレンスク州のイゴリエフスク村にあった。ロシアでは珍しいプロテスタントの教会だ。

 お隣のベラルーシまでは目と鼻の先である。200年近く前にはフランスの皇帝ナポレオン(1世)のモスクワ大遠征軍、67年前にはナチス・ドイツのヒトラー軍が通過し今も、ソ連軍の古い戦車が道ばたに戦勝記念碑として飾られていた。

 ただ、村にたどり着くのは大変だった。幹線道は舗装されているが、途中からデコボコの未舗装道となるからだ。大型トラックも乗用車も、ノロノロ運転となる。

 人口は3500。産業といえば、木材加工工場だけだ。まともな仕事場はこの工場か役場くらいで、村人の多くはモスクワや近くの都市に出稼ぎに行く。丸太づくりの家々は傾き、まっすぐ建つのは役場と工場、教会くらい。貧困とウオツカの痛飲、家庭の崩壊へとつながるロシアの地方共通の問題を、この村も抱えていた。

 新年最初の礼拝は、この重い問題が説教と祈りの中心だった。その最中、酔っぱらいが突然乱入して会堂で許しを請うた。かつて教徒だった男は、飲酒の末に家庭が崩壊し、孤独の中、救いを求めて教会を訪ねたのだ。教会は、苦悩する村人たちの駆け込み寺であり、交流センターだった。

 それは、あふれる石油マネーの恩恵でぜいたくに暮らし、欧米諸国を敵視する強気の姿勢をみせるモスクワとは別のロシアだった。

 ≪再生への希望≫

 ロシアは2日、大統領選挙の投票を実施し、プーチン大統領が推すメドベージェフ第1副首相の当選がすでに確実視されている。プーチン氏は退任後、首相に就任して院政を敷く姿勢だ。「選挙とは名ばかりの通過儀礼にすぎず、旧ソ連国家保安委員会(KGB)の人脈を基盤にした全体主義的なプーチン王朝に変化はない」と、欧米からは揶揄(やゆ)される。

 だが、牧師はこう指摘した。

 「ソ連時代は、教会活動どころか、聖書を読むことすらも禁じられていた。みんな隠れて聖書を読んでいた。いま、ロシア正教会以外の教会の活動は厳しく管理され始めたが、まだ禁じられてはいない。思想を統制することも不可能だ。いま起きているのは、中央のエリートたちの権力闘争である。圧倒的多数が暮らす地方では、それ以前の問題が山積している。新しい大統領が国を誤った方向に導かないことだけを祈りたい」

 牧師はその後、「希望は一番最後についえる」というロシアのことわざを知っているか、と言って笑った。選択肢がない絶望的な状況に陥っても、そこに人々がいる限り再生への希望は最後まで消滅しない、希望を捨ててはいけない、という意味だ。

 モンスター国家への道を歩み始めたかにみえるロシアだが、豊かな中央と貧しい地方のゆがみは拡大するばかりだ。いずれほころびが出てくる。それをどう繕うか。究極のお清めの仲間たちに、再生への連帯のメッセージを贈る。(ないとう やすお)