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現在、巨大な二つの黒い影が日本を覆っている。 その一つは、中国の嘘で固めた国家権力の強圧であり、もう一つは、アメリカの金融支配による経済社会の暗い影である。 中国の国家権力の暴走と、米国の金融支配の横暴に対して、日本は国家の威信をかけた権力と民主主義の言論とによって、堂々と、是は是、否は否として、正義の天鼓を打ち続けるべきではないか。 中国の暴走 去る一月下旬に表面化した中国の「毒入り餃子」事件は、日本国内で衝撃と不安等を与えた。かねてから問題が伝えられていた中国食品への不信感が、この事件を通じて爆発し、改めて広く日本国民に浸透してしまった。 「二十一世紀は中国の世紀」と全世界に売り込みつつあった中国のイメージが、急速に悪化している。中国国内では、こんな重大事件を殆ど公表せず、あたかも日本側に非があるかのように装っている。 日本政府は、検出された殺虫剤「メタミドホス」の使用は、可能性からして、中国内部の仕業だとしている。中国側では逆に「われわれはこの事件の最大の被害者だ」として、賠償請求すらほのめかしている。嘘で固まった中国の、官、民の本性が露骨である。 本来なら、今回のような事件が中国食品に関して発生し、日本国民に多大な不安を与えているのであるから、少なくとも、中国の首相が謝罪と見舞いの言葉を述べるべきである。 日本政府の対応も逃げ腰である。中国製品が汚染されていることは、今に始まったことではない。日本が一方的に被害にあい、餃子を食べて体調を壊したと言う訴えが殺到しているのに、日本政府にもマスコミにも切迫感がない。相手が中国となると、途端に怖気づいて卑怯になる。マスコミも、最初は大々的に非を鳴らしていたが、しりつぼみである。 これと比べて、米国でのBSEの感染牛肉の問題が表面化したとき、日本政府は輸入を直ちに禁止した。あの過去とくらべてみるがよい。猛毒入りの餃子の、大量販売という未曾有の事件を過小評価し、「食の安全」よりも「日中友好」への悪影響を気にする。 中国の暴走は反日教育や反日暴動、世界中での「慰安婦」「南京大虐殺」の悪宣伝、日本の経済水域からの天然ガス資源の盗掘、尖閣諸島への主権の度重なる侵略行為、また靖国神社への参拝に対する内政干渉等々、数え上げればきりがない程の無礼な所業である。 日本政府は、独立国としての自尊心が在るのかと言いたい。 相手が米国の場合は、大人としての態度を見て、甘えの心で批判を重ねるが。 相手が中国なら、何をやるか知れない暴徒集団と思ってか、日本政府とマスコミは腰を引いた逃げの発言であり、国家としての尊厳を捨てた正・邪の分別なき態度である。 通貨の活用 金(キン)は生まれながらにして、地上における通貨としての宿命をもって、この世に生まれたと識者は言う。古代より、人間は物々交換によって、必要な物資を生活に活用して来た。しかし、大量の物々交換は、その行き着く処として、通貨と呼ぶ交換の手段が考えられた。その代表として用いたのが「金」である。通貨としての条件はおよそ三つ。 第一に、その物自体に価値があり、時代を経ても変化しない物質であること。 第二に、希少価値があり、持ち運びと移動に便利なこと。 第三に、地球上に、普遍的に存在し、どの地方にも材料があること。 右の三条件のゆえに、どの国も互いに相談することなく、自国の通貨として自然に金が中心になって来たのは人類の智恵である。各国は申し合わせたように金を通貨として来た。 近代になって、その金さえも、基礎として認めながら、更により便利で「金」に代替するものとして「通貨」が、その国毎に発行された。「貨幣」となり、「紙幣」となった。 通貨としての紙幣は、「金の代替」であるに過ぎない。 日本でも戦前は、十圓札に、金貨十円と交換すると、発行元の日本銀行証明の文字が入り、それを「兌換券」と呼び、正貨と引換えることを想定して発行する銀行紙幣であった。 通貨の乱用の米国 戦争直後、戦勝国の米国に、世界中の金、約三百億ドルが集まった。これは当時、全世界の八〇%であった。ゆえに米国の主唱によって、発行する米ドルこそ、金と換金し世界に通用する紙幣、即ち兌換券として世界から認証された。「IMF体制」とも呼ぶ。 爾来、二十数年間、この体制が維持され世界経済は順調に、戦後の荒廃から立ち直った。 一九七一年、米国は保存の金三百億ドルに対して、三倍を超える約一千億ドルを、各国に流通せしめた。このことは兌換券としての能力を遥かに超えるもので、通貨そのものの信用と価値を極端に低下せしめた。ドゴール仏大統領はこれをニセ札と呼んで非難した。 やがて、米国は、ドルの兌換券としての約束を放棄せざるを得なくなった。 これをドルショックと呼ぶ。欧州連合では、米国ドルの信用を軽視するよりも、自前の国際通貨を認めようとして、ドルに対抗してユーロを創設した。 かくして「金」という実質の通貨を度外視して、兌換券でない紙幣が通用しはじめた。それがドルであり、ユーロとなって、世界市場を暴れ回りつつある。 金の裏付なき、通貨が、物々交換の域を超えて、更に各国の株式をも取得し始めた。 目下世界を騒がせている、アメリカの金融業界が発行したサブプライムローンがある。それを買った銀行や証券会社は、株が暴落し、金融機関が軒並み損を出し、貸し渋りが 起こって、世界の実体経済にも深刻な悪影響を及ぼしている。 もとはと言えば、強欲なかね貸しが貸出先を増やすため、普通なら借金をしない低所得者層に、住宅ローンの貸し出しの利息を安くして、家を大量に建てさせた。やがて利息があがる頃には、家の価値も高くなるからと安心させてか拡大した。 アメリカ政府が、低所得者に家を建てさせるなら、住宅政策として、借金の信用保証体制を執るべきであった。 アメリカの金融業者は、この借金を、債務担保証券と呼ぶ証券に変え、世界中の銀行や証券会社や、投資家に売りつけた。これを「金融工学の技術の粋」であると言って。 これが真に「金融工学」の勝利なのか、それとも「巧妙な集団詐欺」に過ぎないのか。 この奇抜な経済活動が見逃され、それに乗じて、たとえばゴールドマン・サックス社は、この事件で四十億ドル(約五千億円)の利益を上げたと伝えられる。この証券会社は、高値の段階から顧客の買いの求めに応じながら、自社資金で売りを続けていたと云う。 連日ニューヨークの証券市場はこの為乱高下を招き、全世界に深刻な影響を与えている。 この「方向性をも失った金融政策」サブプライムローンは次のような問題点がある 一.低所得者に、不動産の値上がりをあてにさせて、無理な借金を負わせるのが健な金融活動なのか 一.金融業者が貸倒れの危険を独力で担うことを避け、貸金を証券にして売り飛ばすことが商業道徳にかなうのか 一.証券化された貸金の商品としての格付けが、合理的になされたのか 一.証券会社の信用度を評価する制度は、科学的に設計されているのか 等々、これ等の点について、すべてはアメリカ政府が「全責任を負って始末するべき」であると、堂々と指摘するのが、文明国の立場である。 現実に示された通貨の威力を否定しない、されど、実体なき通貨はやがて破綻する。 通貨は、単に物資交換の為の代替である。その歯止めとして「金」との交換と言う担保を持っていた。その単なる手段が、「金」や、その他の、信用出来る担保の裏付を必要とせず、思惑中心に、通貨が無制限に、エネルギー及び資源を支配し、またエネルギー保有の中東諸国も、逆に通貨を支配しようとしている。お金は魔物とはよく言ったものだ。 自然を狂わせる通貨 世界各国は農業から工業へ生産手段を変化させつつある。その結果農地を工業団地へと転用させている為、世界の農地は年と共に減少しつつある。 森林の伐採もまた、農地よりも、工業団地と住宅用地へと転換され、地球上は益々緑地が激減し、環境悪化が急激に進みつつある。 中国は、かつては農産物の輸出国であった、しかしやがて輸入国と変化しつつある。 日本の農業も顕著である。米(コメ)を中心とする農業中心の大国であったが、貿易の自由化によって、安価な農産物が流入し、加えて、産業の発展による人件費の高騰で、主食、特に穀物の輸入は、日本の農地に競争力を失わせた。政府も米の買い上げを断念したばかりではなく、政府主導で休耕田を推奨し、補償金を出すと云う事態が続いている。 食糧やエネルギーと呼ぶ天からの恵みを、単なる価格の対象として来た人間の愚かさ。 エネルギーの代替品として農産品を粗末に扱って、その土台の田畑をも、不採算のゆえに耕作地を転換する愚策を行なって来た。天はこのゆきすぎた所業を見逃すであろうか。 よく考えてみれば、太陽はさんさんと照り輝いている。なぜ一刻も早くこの力を活用し、太陽電池を蓄えないのか。 台風だ、暴風だと騒いでいるが、風力こそ発電の無償のエネルギーではないか。 四季それぞれに降る雨もまた、昔からダムを造り、農業用水に備え、その上、電力の大半は、これの恩恵に浴して来たではないか。 石油や天然ガスのみがエネルギー源でないことは、承知しているはずだ。 眼前の採算のみで、すべてを決めて来た近視眼的世界経済に厳しいツケが来る。 地球上に於ける資源エネルギー問題も、やがて来るであろう食糧の危機の問題も、所詮、その根本の原因は、「通貨」こそすべてを支配する根源と誤信し、頼ったところにある。 天候も、食糧も、地下資源も、人間に対して悲鳴に似た警告を発している。 人間に必要なもののすべてが、地上には与えられている。否、与えられたものを活かして使う者のみが生きる資格がある。それを、根の無い通貨と呼ぶ怪物の「空手形」が、すべてを支配しつつある。この不届き者が地上を汚している。 日本の運命をも左右する米国と中国の蛮行に、政権も、政治家も無関心で良いのか。 塚本三郎; 愛知県名古屋市に生まれる 鉄道省名古屋鉄道局に勤務し、県立中学校(夜間)に入学 終戦とともに労働組合運動に従事 運輸省に転勤し、中央大学法学部(夜間)に入学 国鉄を退職し、中央大学法学部卒業 昭和 33年 挑戦4回目にして初当選し、昭和生まれ初の代議士 (日本社会党所属)となる(以後当選10回) 昭和 35年 民社党結党に参加 昭和 49年 民社党書記長に就任(国鉄改革・電電公社民営化に取組む) 昭和 60年 民社党中央執行委員長に就任 平成 元年 民社党常任顧問に就任 平成 9年 「勲一等旭日大綬章」を受章
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