青蔵鉄道は「権力」も運ぶ
青蔵鉄道は「権力」も運ぶ


 チベット自治区ラサで起きた僧侶らによる大規模騒乱に、ふだんは「中国よいとこ」を吹聴する日本のメディアもようやく目覚めたようだ。「五輪に暗雲」「流血の拡大を止めよ」とこぞって言い出した。

 つい最近まで、彼らは北京からラサをつなぐ青蔵鉄道の2006年開通を「世紀のプロジェクト」と礼賛していた。だが、鉄道は漢族の観光客を運ぶが、イザとなれば治安警察も人民解放軍をも運ぶ。

 ジャーナリスト、徳岡孝夫氏の慧眼によれば、米国の大陸横断鉄道もシベリア鉄道もそうだったように、「大鉄道の眼目は、中央政府の権力の浸透にある」ことは疑いない。

 胡錦濤国家主席は全国人民代表大会(全人代)で、これまで何度か耳にした「民族団結」を今回も強調している。言葉を変えると、辺境にまで中央の指導力をあまねく行き渡らせ、管理・収奪システムの握りをグイと締めるということだろう。

 昨年、チベットを訪れた旅行者は前年比で6割増の403万人に達して、チベット経済を潤したらしい。しかし、その恩恵は自治区人口の9割を占めるチベット族には落ちてこない。

 元来、チベット族はもうけ口を求めて出し抜き合う漢族のようなライフスタイルを取らない。貧しくともチベット仏教を中心とする豊かな精神生活を送ってきた遊牧の民である。

 その苦境をチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世は「文化的な虐殺が起きている。差別もある。頻繁に2級市民として扱われている」と騒乱の本質を突いた。

 しかし、ダライ・ラマ14世の記者会見は概して抑制が効いていたのはご承知の通りだ。筆者には、これから起こるチベット族への過酷な責めを緩和しようとの努力に思えてならない。それはダライ・ラマ14世が1959年にインドに亡命して以来、何度も繰り返された災いに基づいている。

 このチベット暴動に参加し、23年間も中国の刑務所に収容されていた高齢のソンドップさん(仮名)や、16年間の収容所生活を経て87年にヒマラヤを超えたアデ・タポンツァンさんらに、亡命政府のあるインド北部ダラムサラで会ったことがある。

 ソンドップさんの父親は拷問を受けて獄死、妻は中国官憲にレイプされて自殺した。当時20歳だったソンドップさん自身も刑務所に鎖でつながれた。後ろ手につるされて棒でこづかれ、つめの間に竹ぐしを差し込まれた。ソンドップさんは当局が「二度と逆らうことのないよう体に覚えさせたのだ」と顔をしかめた。

 89年のチベット暴動の時も、中国は外国人観光客を追い出し、戒厳令を敷き、軍は発砲していないといった。今回の騒乱でとった中国当局の進捗(しんちょく)状況と酷似してはいまいか。

 だが、89年当時、欧米の新聞は軍が広場に集まったチベット人に発砲し、逃げられないように子供のひざを砕き、やがて殴り殺したとの事実を伝えた。

 圧倒的な武装警察や軍の前に、抗議の僧侶や市民が過酷な罰を受けるのはこれからだ。すでに公安当局は、デモに参加した僧侶らに自首を呼びかけ、住民には密告を奨励していた。「密告」とはいやな語感だ。

 過去のチベット暴動がそうだったように、追っ手を逃れて決死のヒマラヤ越えで生き延びようとする人が出る。彼らの前に立ちはだかるのは5000メートルを超える急峻な雪稜だ。

 その世界最高峰のエベレストに、北京五輪の聖火リレーが史上はじめて挑むのだという。聖火の初登頂によって、チベットが中国の領土であることを内外に誇示する狙いがみえる。   (産経新聞【湯浅博の世界読解】東京特派員)