【日本よ】石原慎太郎 幕末現代
【日本よ】石原慎太郎 幕末現代


 この国の最近の政治の混乱を眺めていると何か大きな、根源的なものへの認識が欠けているような気がしてならない。政治を論評するメディアにも同じことがいえそうだ。  物事の、特に政治の運用について毛沢東がかつて説いた『矛盾論』は、イデオロギーを超えていかなる問題処理にも適応する単純明快な方法論だが案外に人間の思考の盲点を突いている。

 曰くに、目の前にある厄介ごと、つまり解決すべき矛盾には、実はそれを規制しているもう一つの大きな背景があるのであって、それを正確に認識してかからないと問題の完全な解決にはならない。その背景を彼は『主要矛盾』と呼び、目の前の厄介ごとはそれから派生した『従属矛盾』でしかないと。それは演繹(えんえき)すれば文明観、歴史観の問題ともなるが、いずれにせよそうした根源的な認識がなければ問題解決につくされる手だては所詮(しょせん)その場しのぎのものにしかなり得ない。

 人間社会にとって最も規制力の強い方法はやはり政治であって、その政治がどのような認識で運用されているかに国の盛衰存亡もかかってくる。近代国家としての日本の政治は今さらいうまでもなく官僚統制によって運用されてきたが、ある時点では日本の社会ははたから眺めればもっとも成功した社会主義社会ともいえた。しかしなお、そのシステムが未だになお継続しているということは全く別の問題だ。

 その端的な事例はかつて小渕総理時代につくられた『地方分権一括法』で、明治以来続いてきた日本全土への官僚の支配を改め地方自治を促進しようという趣旨だったが、その付記に『ただし税財源の分与は中長期の目的である』とされていた。これは語るに落ちる話で、税財源の保証もなしに自治の促進が出来る訳がない。日本の国会審議での中期といえばどんなに早くても五年、長期といえば半世紀先とさえなる。つまりこの付記なるものは、地方を統治し続けてきた国家官僚の新しい法律への否定の意志表示以外の何ものでもない。

 閣僚としてやってくる政治家たちに官僚がへりくだった姿勢で等しくいうことは、「我々には大した知恵もございませんが、我々の特質はconsistency(一貫性)とcontinuity(継続性)でございます」と。これは自惚(うぬぼ)れた錯誤としかいいようない。

 こんな変化の激しい時代に今までと同じ認識同じ発想で仕事をしていれば、変化への順応どころか他との競争に勝てる訳がない。これは官僚だけではなしに他の民間の人間にも同じようにいえることに違いない。

 東京都はこの所私が提案して発足した小零細企業のための銀行の経営不振で苦労しているが、危機感を感じてこの一年ほどの間実態の把握と今後の再建のための勉強を私自身懸命にしてきたがその過程で、関係官庁を含めて日本の金融の専門家たる者たちが世界の金融状況の中での金融事業に関して、その発想がいかに遅れているかをつくづく悟らされた。日本の大方の銀行はせいぜい手数料で稼ぐしかなく過ごしているのに、外国では驚くほど多角的に、アクティブに資金を運用している。その格差は数学の一次方程式と二次方程式以上のものがある。

 現に、東京という極端に集中集積の進んだ首都の金融に関して、将来のインフラ整備等行政需要を見越しての商品価値について外国の方がはるかに精通していてその活用のための施策の発想に驚かされた。故にも銀行の再建に関しての自信も与えられた。

 こうした総体的政治的現象は結果として年金業務における怠慢退廃、軍務における綱紀の弛緩(しかん)による重要情報の漏洩(ろうえい)、埋蔵金なる官僚の膨大な恣意(しい)的蓄財などに表象されている。こうした現実は、かつては誇るべきものとされた日本の官僚制度がその歴史的耐用年数を過ぎて風化してしまったという現実を如実に証している。そしてこうした現実は、歴史を振り返ってみると歴然としたアナロジーとして証しだされる。それはわずか百四十年前の徳川幕府崩壊の実態だ。

 官僚の退廃腐敗を訴えて起こった大塩平八郎の乱がその起点として表象する、かつては絶対権威とされていた徳川幕府の官僚機構の無為無力さは、彼らがみくびって起こした長州相手の戦で高杉晋作の作った近代式軍隊の奇兵隊を相手に大敗したことで露呈し、幕府の崩壊大政奉還につながっていった。

 ペルリの率いる東洋艦隊の来訪によって開国をせまられながら、世界の外側で起こっている新しい文明の動きを捉えきれずに体制維持の迷盲の中で身動き出来ずにいた徳川幕府の官僚たちは、いってみれば毛沢東のいう『主要矛盾』を関知出来ず、自らと他を冷静に見比べる相対感覚を持ち得ずに来た結果自らを滅ぼすことになってしまった。隣の大国清帝国も官僚たちの同じ迷盲のために滅びたが、日本はなんとか黒船に象徴される『外圧』によって覚醒(かくせい)し近代化を遂げることが出来はしたが。さてこの現代、かつての幕末と同じ国家的システムの疲労を露呈しているこの国は、これから先いかなる外圧によって変身蘇生(そせい)することが出来るのだろうか。産経新聞