消えない戦争の光と影
消えない戦争の光と影


 米国の今回の大統領選挙でもまた、ベトナム戦争がキャンペーンの背後の要因として、意外と大きくなりそうである。共和党候補指名が事実上、決まったジョン・マケイン上院議員に、あの戦争中、5年半も捕虜となり、その刻苦を称賛されるようになった経歴があるからだ。

 前回2004年の大統領選でも、ベトナム戦争はその終結から30年近くが過ぎていたのに、大きな影を広げた。民主党のジョン・ケリー候補が海軍将校として北ベトナム側のゲリラと果敢に戦ったという「戦歴」を宣伝したからだった。ケリー氏は実際にはその後の反戦活動で全米に名を広めていたから、戦歴を誇ることには反発が激しかった。

 しかしマケイン氏は「あの戦争は米国にとっても、敗れた南ベトナムの国民にとっても、それなりの大義や目的があった」という立場を一貫してとってきた。個人としてのベトナムへの愛憎が錯綜(さくそう)するような思いも、いかにも深く激しくみえた。同じベトナムで3年半ほど戦争や革命を報道した私が上院議員1期目の彼に「ベトナム戦争の意味について」などという名目で会見を求めると、いつもすぐ応じてくれた。私のベトナム観にも関心を示し、びっくりするほど長い時間を費やして、捕虜時代の苦労や米国とベトナムとの国交樹立への希望を語ってくれた。

 そうした彼のベトナムに対する理と情の屈折の極限をみたように感じたのは、1991年の上院公聴会だった。ベトナム戦争での行方不明の米兵問題を論じるこの会議での証人は元ベトナム人民軍大佐のブイ・ティン氏だった。

 ティン氏は73年3月に南ベトナムを撤退する最後の米軍を見届ける際も、75年4月に人民軍が当時の南ベトナムの首都サイゴンの大統領府に突入して、革命旗を掲げ、戦争に終止符を打った際も、現場の最上級将校だった。だが抗米闘争のそんなヒーローが90年にはフランスに亡命し、翌年、米国にきたのだった。英仏語に堪能なそのティン大佐は実はマケイン氏が捕虜のときの尋問役の一人だった。当時の米兵捕虜の尋問は拷問を伴うことも多かったという。

 「再会できてうれしいです。大佐!」

 公聴会の議員側の中心に座ったマケイン氏はこう述べて、顔をなんとも複雑にほころばせた。本当に再会を喜ぶ笑みなのか、こみあげる感慨や怒りに動かされたほころびなのか、わからなかった。ただ内面の強く激しい思いをいやでも感じさせる表情だった。

 ティン氏は故国の政権の共産主義独裁への失望を語った。ベトナム共産党が民族の和解に背を向けて、旧政権関係者を弾圧し、国民の自由や創造を踏みつぶしたと非難した。マケイン議員は表情を硬くして聞いていた。

 米国社会からベトナム戦の症候群とか後遺症という言葉が消えてもう長い。戦争中に北ベトナム側を政治色のない民族和解の平和志向勢力として位置づけ、自国の政策を糾弾した女優のジェーン・フォンダさんや歌手のジョーン・バエズさんも、「私は間違っていた」と認めてしまった。マケイン氏の戦争観が多数派に定着したということだろう。だがそれでも今回もまたベトナム戦争が大統領選で論じられるのは避けられないようだ。ベトナム抜きに人間・マケインを語れないからでもあろう。とにかくあの戦争が米国社会に投げる光と影はまだまだ消えないようなのである。  (ワシントン駐在編集特別委員・古森義久)産経新聞