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≪清貧から濁富へ?≫ 評判だった映画『三丁目の夕日』の正編は、東京タワーが建つ年の庶民の街を描いていた。ちょうど半世紀昔の話だ。 あのハングリーの時代、世の中はまだシンプルだった。描かれた庶民生活も簡素・質素。人情のぬくもりは江戸時代との連続も感じさせた。田中哲男氏の新著『東京慕情』(東京新聞出版局)に満載されたあの頃の写真を見ると、渋谷ハチ公前広場も意外に閑散としたものだった。新宿も池袋も六本木も空が広々として、路面電車と少しの車がのんびり走っていた。 『三丁目』の年、もう高度成長は助走期にあったが国民には実感がなく、GNPという名も知らなかった。昭和元禄には遠い“清貧”の世の中で、貧乏からの上昇を企図する人間はいても「人の心は金で買える」などと無分別・無教養をさらけ出す幼稚な発言は恥ずかしくて誰もできなかった。日本人らしいはじらい、慎みが健在だった。 清貧から濁富?へ、世相がウス汚れ始めると共に、腹の減った日本人が増えた。−と書けば、アベコベじゃないか、飽食・メタボの時代になるのにと思われるだろう。アベコベではない。飽食の時代が開けるにつれ、腹の減ったような張りのない声で話す世代が発生したのだ。大阪万博の前後、「モービルオイル、スーパー」と消え入って行く声のコマーシャルが流れたが、腹の減った声とはあのテの声だ。時代の傾向を象徴してCMはヒットした。 ≪精神的空腹感の蔓延≫ 東京五輪の少し後、芥川賞小説『されどわれらが日々』から話題を広げた中年教師が「最近の若い者は退屈してるようだ」と評した時は、若いのに退屈とは、と耳を疑ったが、後で思えば、高度成長と並行して精神的空腹感が生じ始め、シラケの時代が確実にしのび寄っていたのだ。アクビまじりの腹の減った声が瀰漫(びまん)するのは自然の勢いだった。 後に、カラオケの店の人が「若いお客様はおナカから声を出して歌わずに、口の先でボソボソ言ってらっしゃるんです」と評したのも精神的空腹の時代をついていたが、口の先だけの発声は舞台芸術にもつながるらしい。劇作家で古今の芸能に精通する若林一郎氏は近頃の一部の新劇に苦り切って言う、「出演者すべてが一本調子で、胸だけの呼吸でセリフをしゃべる。その不愉快さ限りなし」。 胸だけの呼吸、一本調子は精神のメリハリのなさを証明する。ストーリーとセリフと相俟(あいま)って「いざ、生きめやも」と感動させるものがない、と氏は嘆く。 もう何年も前、ある武道教室の記念集会に招かれて驚いた。当然、平均以上の体力があるはずの教室の少年たちが、こもごも立って、うつむきがちに薄笑いなどを浮かべながら腹の減った声でスピーチする。鍛えてあるはずの体を直立させられない様子で、前後にゆれながら何かに寄りかかりたげだった。 かつて相撲部屋の新弟子がハダシになるのをこわがると聞いた時、高学歴化で社会が頭でっかちになる時代に、素足で土を踏めない日本人が増えるのは“民族の立ち枯れ”の予兆と思った。立つのが苦痛ですわり込んでしまう“地ベタリアン”が急増するに至ったが、体力不足に気力衰弱が重なれば本当に民族は立ち枯れる。 ≪心身活性化へテコ入れを≫ 田中氏の前記の本に出てくる『三丁目』時代の小学生たちは、チャンバラごっこも、校庭で歌うにも、紙芝居を見るにも眼を輝かし、上半身裸でぶつかり合う騎馬戦の男の子は皆がやる気満々、シンから楽しい表情だった。あの貧しい時代は、精神の液状化を象徴する地ベタリアンや腹の減った声はなかった。 前記の若林氏は「伝統発声研究会」を主宰して若手俳優を指導し、その会を核に紙芝居で昔話を広める活動を続けている。小学生らに腹からの伝統的発声も指導し、教わった児童からは「紙芝居をやらせてもらってよかった」「声の出し方がはじめてわかりました」と感謝の手紙が来る。ほっておけば声に出して名も言えない現代の児童が、音読で前頭葉が働き始め、体も心も活性化するのは意欲的な指導者の力である。 指導者と言えば、ある公立高校の新人教師M君が相撲部を創設したら、その活動が全校を刺激して他の部活も盛んになり、登校率最低という不名誉な事態が解消した目ざましい例もある。 小学校の古文暗誦、武道必修などの情報を聞くが、腹の減った声のままでは形骸(けいがい)化するだろう。新緑漸(ようや)く鮮やかな頃、民族の立ち枯れを防ぐために、志ある指導者が輩出して核となり、飽食時代の心身低迷が克服されることを切望する。 (産経新聞【正論】東京工業大学名誉教授・芳賀綏)
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