国家の品格映す人権
国家の品格映す人権


 ◆人権問題介入の難しさ

 ローマ法王ベネディクト16世の初訪米のハイライトのひとつは国連総会での演説だった。法王は、「各国は自国民を人権侵害から保護する義務を負うが、それが保障できない場合は国連憲章にのっとって国際社会が介入すべきだ」と主権国家の尊厳に配慮する発言を交えながら、人権尊重を呼びかけた。この演説が耳に痛かった加盟国は少なくなかっただろう。特に「内政干渉」という名目の下に国連や国際社会の介入を退けることに躍起になっている国にとっては。

 裏返して言えば、法王の演説は人権問題に国際社会が介入することの困難さを示してもいた。

 その背景を説明する良い事例となりそうなのが、毎年秋に開かれる国連総会第3委員会でのやりとりだ。第3委員会は総会の主要委員会のひとつで人権問題を扱う。ここで「国別人権状況決議案」(国別決議案)と呼ばれる議題が協議されるときの熱気や緊張感には独特のものがあり、毎年、自主的に傍聴することにしている。

 国別決議案とは深刻な人権状況や問題を抱える国家を非難し、改善を要求するというものだ。これまでに北朝鮮、ミャンマーなどが対象になった。国連が果たすべきまっとうな使命のひとつだと思うのだが、名指しされる国にはたまらないものがあるようだ。

 ◆問題国家の「共闘」

 2年前の10月、第3委員会を傍聴していて、苦笑を禁じ得なかったことがあった。とある決議案の提案国・支持国の名前が一斉に読み上げられた。北朝鮮、ミャンマー、ベラルーシ、イラン、ジンバブエ、スーダン、ベネズエラ、キューバ、中国、ロシア…。

 国際人権監視団体などから非難される常連国家のオールスター・キャストだったといっていい。こういう国家が協力して堂々と決議案を出せるのだから、「国連とはやはり懐の深い組織だな」と妙なところで感心もしたが、果たしてこれらの国家は人権問題に関して何を訴えようとしたのだろうか。

 彼らが提出したのは、「人権に関する公平で相互的な対話の促進」という決議案である。タイトルこそ立派だが、「特定国家を対象にした政治的動機に基づく偏見にとらわれた決議案を避ける必要性を強調する」というのが趣旨で、つまりは、国別決議案への反対をアピールしたものだった。

 当然、日米欧などは反対票を投じたが、「明日はわが身」というか、「スネに傷持つ」国家が多い現実を映し、決議案は、投票国の過半数の賛成を得て第3委員会で採択された(総会関連の決議案に法的拘束力はない)。

 国別決議案が取り上げられるときは採決前に20カ国近くが演説し、そのほとんどが「人権問題を解決するには加盟国間の建設的な対話と相互を尊重した協力が必要だ」などと一見、もっともらしく響く修辞を駆使して反対の論陣を張る。そもそも建設的な対話が成立していれば総会に訴える必要もないにもかかわらず、である。北朝鮮に至っては昨年秋、自国に対する非難決議案の採決を前にこう呼びかけた。「正義を愛するすべての国がこの決議案に反対することを望む」と。

 ◆尾を引く米国の不在

 「人権問題を抱えている国はムキになって反論するんです。あの反応は国連の他の協議にはないものかもしれない」

 ある国連外交筋が指摘するように、第3委員会の面白さというか一種のこっけいさは人権問題を指摘する側と、される側の攻防、とりわけ、される側の必死の防戦にあるように思う。

 ローマ法王が「人権問題に際しては文化、政治体制、宗教の違いを理由にしてはいけない」とその普遍性を強調したように、高度経済成長を成し遂げようと、軍事力を誇ろうと、言論や表現の自由が制限され、人権問題を指摘され続ける国家が尊敬を集めるはずがない。人権状況ほど、その国の「品格」を映すものはないといえる。彼らもこれを自覚していて後ろめたいからこそ、ムキになるのだ。

 国連には第3委員会とは別に、人権問題を扱う主要組織、人権理事会(本部・ジュネーブ、47カ国で構成)がある。機能不全に陥っていた前身の組織を改組し、選出基準を厳しくしたものの、問題国家同士が支えあう構図は変わらず、最近もチベット騒乱を取り上げることが阻止されたばかりだ。

 「米国の不在が尾を引いている」と、先の外交筋は嘆く。「組織の重しとなる」(同外交筋)べきその超大国が、選出基準をめぐる意見の相違から、加盟を見送り続けているのである。9月から始まる新総会に向けて、民主主義国も共闘して有効な戦略を考えるべきだろう。 産経新聞 ニューヨーク支局・長戸雅子