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◆女房衆も天皇も愛読 日本を代表する古典小説『源氏物語』ができて、今年でちょうど一千年にあたるという。作者である紫式部の日記(紫式部日記)に、寛弘5(1008)年11月1日、藤原道長の土御門(つちみかど)邸で催された宴会の場面が出てきて、当代随一の文人貴族・藤原公任(きんとう)が「失礼。このあたりに『若紫』さんはお控えかな?」と、紫式部に問いかける記述がある。 小説中の大切なヒロイン(紫の上)を酒の肴(さかな)のように扱われたことを心外に思った式部は、「(主人公の)光源氏に似た殿方もいないのに…」と無視を決め込むのだが、この時点で「若紫」の巻など、かなりまとまった物語が完成していたことだけは推測できるというわけだ。 筆者は京都での勤務が長かったから、『源氏物語』ゆかりの場所には、ほとんど行った。式部の屋敷があった跡とされる京都市上京区の廬山寺(ろざんじ)や、北区にある彼女の墓はむろん、『源氏物語』の構想を練ったと伝えられる大津市の石山寺も訪ねた。今年は記念の年で、ゆかりの場所などでは、さまざまな行事が行われ、訪ねる人は倍以上に増えているそうだ。 千年以上にわたって読み継がれる『源氏物語』の魅力とは、どこにあるのだろう。登場人物が実に多様で、心理描写も優れている。華やかな宮廷を舞台にした恋愛小説でありながら、仏教的な哲学もくみ取ることができる。古くは与謝野晶子や谷崎潤一郎、最近では瀬戸内寂聴さんまで、海外を含めた多くの作家、研究者が現代語訳などに取り組んでいることも、何よりの証明だろう。 『源氏物語』が書かれたとき、読者は女房衆だけではなかった。紫式部日記にあったように、上級貴族や当時の天皇(一条天皇)にいたるまでも、熱心な読者であったことがわかる。 ◆身分を超える勇気と罰 気鋭の国文学者で『源氏物語の時代−一条天皇と后たちのものがたり』(朝日選書)で昨年のサントリー学芸賞を受けた山本淳子・京都学園大学教授は、その魅力のひとつを「身分制を超えた愛の力」にあると主張する。たとえば、光源氏は若い義母の藤壼中宮(ちゅうぐう)にあこがれ、関係をもち、不義の子供まで産ませる。文字通り「タブーを破る恋愛」を貫く主人公とその恋人たちの生き方に、人々は心をふるわせたというのだ。 『源氏物語』が書かれた11世紀の前後は、日本の歴史の中で「王朝国家の時代」と呼ばれる。古代律令国家から中世国家への移行期で、摂関政治が全盛を迎えた時期であった。出自に基づいた身分制度ができあがり、それを超えた出世は望めないばかりか、恋愛や結婚も自由にはならなかった。 「紫式部自身も中級貴族の出身で、執筆当時は30代の半ば。父と兄は処世が下手なうえ、夫とも死別し、子供も抱えていたといわれています。身分制度の“息苦しさ”は身にしみて感じていたと思いますね。『源氏物語』は小説という手段で、身分制の不条理に抗議したともいえるのではないでしょうか」(山本教授) 身分制は、たとえ天皇であっても、これを破ることはできない。つまり、家柄や身分を無視した「純愛」は許されないのである。小説の中で、光源氏の父・桐壼帝は身分の低い桐壼更衣(こうい)を深く愛し、源氏が誕生する。しかし、源氏に天皇になれる望みはなく、桐壼更衣も後宮の人々から迫害され、心労のあまり若くして亡くなってしまう。源氏の父母もまた、タブーを破り、その“罰”を受けた存在なのである。 ◆格差は乗り越えられる 最近の社会を表現して「格差社会」だという。持てる者と、そうでない者との差が大きくなり、不平等が広がっているといい、政治家や評論家たちはその是正こそ、「喫緊、最重要の政治課題」と主張している。果たして、そう単純であろうか。 私たちの生きる現代は、身分制の社会では決してない。世襲の政治家や事業家も多いが、彼らはその代償として、「どうせ親の七光だろう」という軽い侮蔑(ぶべつ)を常に受けている。 格差はあっても、それを当然なものとせず、格差を乗り越えて進む生き方を称賛しうる健全な風潮が、現実には存在している。恋愛だって自由だ。文学の中でしか、身分制を乗り越えることが許されなかった紫式部の時代とは、明らかに異なっているのである。 もちろん、『源氏物語』の楽しみ方は自由で、多様である。身分制の問題など持ち出すまでもなく、男女の情愛や、恋愛における駆け引きの妙は、読み進めるだけでわくわくして感動は深い。千年紀をきっかけに、この古典の持つ魅力を、改めて味わってみたい。(産経 大阪編集局次長・渡部裕明)
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