山岡 兼三 (旧士族:伴姓山岡氏)
大和朝廷の時代から武闘家として続き江戸時代、旗本として将軍家に使えた旧士族の父と室町時代、守護大名として活躍した旧華族の母の三男。
成城大学空手道部創立者 政治評論家
私の武道経験を話してみます。
最初は長男が空手をやっていて、巻藁が何時もおいてあった。それを毎日百回たたいていた、六歳になってから、私もまねをするようになった、小学校に入ったらいつかみんなにおそわれる存在になった、中学に入り講道館に入門して三段になった、思いでは嘉納氏愛弟子三船俊郎十段が練習にきた、くる時は杖をつてよぼよぼ来たが。柔道着に着代えるとビックリしたのは、背中がますぐになり足さばきもすばやく。五段以上をあいて練習するのが相手の足を払うと相手が宙を飛ぶ勢いで半端でなく、あいう宙飛ぶ。80才すぎている。大変感銘した。中学一年から空手を夢中に練習をした、早稲田でおもに練習した・ 二階にレスリング部がありそこで面白くなり、階級バンタム級で参加した。
そのころはフリースタイル グレコロマンはありませんでした。それはきつく三日も練習しないと元に戻る、やすみ禁物
早稲田主将村上主将から「大学新人戦にでろといわれた」成城学生が早稲田生徒出るのは違反になる、一回ホール 二回ホール 3回ホール 準決勝になった、
あわてたのは早稲田主将とんできて、こんどは負けろ。おまえが勝つと問題になる、
試合になった、こんどは負けてもいいや、きがらくだった。マットの中心でタックルし相手を倒し簡単フォールして決勝になった。早稲田負けろ まけろ大騒ぎになった。判定で負けた、良い思い出になった、三人審判は二対一で負けた。
今の空手形を重点の段の進級を決めるのは問題がある。人間は窮地になっとき
本当の力がでると言うこと。有名大山氏と組み手たのんだ、対戦して見たら最初に突きをだしてきた。手でよけようと思って手を払ったら私の方が横に飛ばされた。まいりましたとひきさがった、
渋谷に安藤組の縄張りだった。今と違ってのんべい横町が客引き女がそばえよってくる。その女の頭コツコツたたいた、八人のちんぴらが私の前にあらわれ、よく見るとみんな
刃を所持している、一番強そうな二人をえらんで、二人倒して前へにげた、
学芸大に今の金子事務ボクシング 笹崎がオーナーだった、二ヶ月シャドーボクシングを
練習した。
オーナーからスパーリングをやれと命令された。
スパーリンの相手は金子 日本ランキング4位 後に東洋チャンピオンになった、金子を相手3分二ランドやった、30発ぐらいなぐられた、持ちこたえた、家に帰っても頭がボートしてこれは続けると脳障害がおきると思いやめました、プロ選手と戦って倒れなかったそれから顔なぐれても大丈夫と思うようになった。
成城大学大学二年時に薦められて、空手道部創立した、体育会は反対で一人
ずつ脅かしてみた、創立の時は全員賛成になった、創立してからが大変だった。
糸棟流 和道流 剛柔流 テコンド 挑戦してきた、 全部勝った。大変だった。
最近んの武伝
享年12月2日頃新新宿小田急ハルク大梅街道への下りさかで、
道ふさいでいた、しれつ地がうち時三人170センチがいかついからだで運動選手のようだ。すれ違う時型、その中にぶつかxた 人がジジいといって私襟つかんだ。
その着76才が急に20代に戻り前の男せいけんでなぐ。その後三人伸びている。
りパアトリカー。もう一人脇腹殴る
も一人かえす口元殴った、三人はそのいばで倒れ急急車
新宿署へつれれいかれて、過剰防衛だ、相手は六大学のレシュラのメンバせす。
署員はビックリして感心しています。
1時間程して大学から電話我利「今回示談にして外部に内密してくれ言って来た。
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